2010年9月22日水曜日

術後4週目~退院へ

9月14日火曜日(入院24日目)  先生がやってきておもむろに膝を曲げる。先生目測で曰く90度来てるね、よし、おうちに帰ろう!退院許可出ました。すぐに帰ってもいいのだが、まだまだ不安が残るので、その週の終りに退院することにした。まだまだ膝は十分に曲がってきていない。
 膝は順調に曲がって90度は曲がるようになった。術後三週間経過して、加速度的に曲がってきた。CPMもストイックに10度ずつ毎日曲げる角度を大きくすることにした。Mなんじゃない、ストイックなんだ!とか叫んで看護師さんにあきれられていた。


9月15日水曜日(入院24日目)  CPM90度に挑戦。看護師さんには120度は曲げて帰ろうねというサディスティックで親切なお言葉をいただいていた。この調子でいけば土曜日に120度曲がり、日曜日に退院できる。ガシガシ曲げたるわと決意して自主練習も徹底してやる。曲げては冷やして曲げては冷やして、その繰り返しで一日が終わった。進歩を実感。リハビリの時には左足が110度、右足は100度強曲がった。


9月16日木曜日(入院25日目)  歩くときに少し曲げて歩けるようになったし、スピードもほかの足が健康な患者さん達と同じスピードで歩けるようになった下界の生活が待ち遠しい。濃いもん食って、ゲームして、それから・・・などど考えながら過ごす。すっかりなじんでしまった病棟。心なしかさみしい気持ちもした。この日はCPMでは100度。もっとも自主練習のときにはもっと曲げた。退院した時に、あまり不自由にならないようにと、できるだけ曲げたり筋トレをした。階段は登りは登れるようになったが、下りは膝が崩れて無理。後ろ向きなら降りられた。ただし登りも下りも、手すりがないと無理。
 リハビリの時には左120度弱、右は110度まで曲がった。着実に進歩している。傷の痛みがひいたせいだろう。


9月17日金曜日(入院26日目)  昨日よりもさらに曲げたり、筋トレの量も、時間が許す限りやるようになってきた。リハビリの時には120度曲がった。膝の不安感がだいぶなくなってきたせいかな。この日、外に散策しに出かけた。病院の構内に散策路があったので利用した。外に出ると、夏が終わっていた。風はすっかり秋の風だった。日差しも。思えば一か月近く経ったのだ。これまでのリハビリの日々を思い出すと、もっと頑張れたんじゃないの?っていう日もあった。そこで頑張っていたらもうちょっと退院は早かったんじゃないの?と思った。頑張れなかったことは後悔している。
 消灯の時間になって、この日夜勤の看護師さんには退院の日会えないだろうからということでお礼を言った。言ったら涙が出てきて、胸が詰まって困った。向こうも困っていた。そりゃ1か月もいればなじんでしまうわな。頑張ってもっと早く退院していたらこんな気持ちも起こらなかったんじゃなかろうかと思ってしまって余計つらかった。でも、感謝の気持ちは変わらないと思う。


9月18日土曜日(入院27日目)  CPMも120度に達した。リハビリのときには自転車のようなマシンで筋トレをやってみたが、大変つらかった。左は130度以上曲がって、右も120度を超えた。ちなみに自転車マシンとはスポーツセンターにあるようなアレである。自転車に乗れるのはまだまだ先になりそうだ。京都の町は自転車がないとやってられないな~と思って気分は鬱。ここまで曲がるものなのだなと、我ながらびっくりした。悲鳴を上げまくっていた僕を、扱いづらいと思っても見放さないで付き合ってくれたリハビリ師の先生には感謝しています。最後のリハビリが終わり、お礼を言って病棟へ戻る。松葉杖がなくても、十分歩ける。この一カ月の進歩をかみしめて、病棟へ戻った。
 退院の片づけをして、最後にお手紙をお世話になったドクターと病棟の方々宛てに書くことにした。書きながらまた泣いた。ちゃんと書けなかったかも、と思いつつも一応書き上げる。きっとダラダラとした文章になってしまっていたと思う。ちょっと後悔。


9月19日日曜日(入院28日目)  午前中に無事退院。ドクターと看護師さん達の誠実な対応には本当に感謝している。病棟を離れるのはちょっとさみしかった。僕は病棟の人々になついていたんだなとわかった。でもサークルの友人たちや、高校の時の友人たちに会えると思うと、気持ちは明るくなった。
 外に出ると意外な関門があった。下り坂!これはつらい。下りは膝につらいといわれているが、斜度が5度もないような下り坂に大苦戦。ジグザクに歩いて乗り切った。さあ、今から下界ライフだと意気込んだ。来年の今頃は山の頂上に立っていたいものだと思いをはせながら、家に帰った。




丸々4週間に及んだ入院生活。しんどかったが確実に後半のほうは進歩した。二週間でかなり良くなります。そこからいかに頑張れるかにかかっているのではないでしょうか?同じ手術を受ける方はリハビリ相当大変ですが、頑張ってください。自分の体、自分で何とかしましょう。現実は厳しいです。僕は自分に甘かったから、四週間もかかってしまいました。
 僕は右足の内側靭帯が半分切れかかっていたそうなので、右足の回復が遅れました。なお両足やりましたので、長く入院していました。片足ならば1週間か2週間弱で退院できるのではないでしょうか?

術後数日間、病棟の方々の献身的な看護には本当に感謝している。その後も本当によくしてもらったことにも感謝している。

3 件のコメント:

  1. 退院時の気持ち、すごく共感できます。退院が決まったときは下界に戻れるうれしさよりは、病院を離れる寂しさと不安の方が大きかったです。お仕事とはいえ、看護師さんたちもめちゃくちゃ優しく親切にしてくださるし。ナイチンゲール症候群になる男性の気持ちがよーくわかりました。
    TAKAFASHIさは1ヶ月と言う長さなのでもっと感慨深かったでしょうね。
    確かに2週間でかなり良くなりますし、実際私は退院が可能でしたが、2週間目のときはまだ日常生活が不安でもっと入院していたい、と思ってました。1ヶ月ぐらい入院できてたら楽だっただろうなぁ。退院後2週間ぐらいは通勤が本当に辛くて、会社がいやでいやで仕方なかったのを思い出しました。

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  2.  やっぱりさみしいものですよね、病院はなれる瞬間は。もしかしたらナイチンゲール症候群にかかってたかもしれません(笑)もっとも一カ月は、病棟の人々になついてしまうのに十分すぎる時間でありましたが…
     退院早々に職場に戻っていたようでびっくりです。僕は退院してから数日間は家にこもっていました。初めての遠出でお茶の水まで電車で行ったのですが、下り坂、オバサマのタックル、混雑した電車などなど不安で不安で仕方がなかったのを覚えています。その期間の通勤&お仕事、お疲れ様でした。
     

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  3. 私も今思えばよく退院してすぐ通勤したなぁと、ほんとに自分を誉めたいです。来年もし前十時靭帯の手術をして、また同じ状態になったら、今度はもっと休ませてもらうつもりです^^
    私も怖かったですよー オバサマのタックル、オジサマのタックル、OLさんもみんな駅構内走ってるし、、
    でも一番怖かったのは松葉杖を持たなくなってからですね。誰もよけてくれない。。。

    山に行きたいから膝を手術するっていう決心をした人、私が聞いた中ではあなたで3人目です。
    一人は私の会社の前十時靭帯再建手術をした先輩、もう一人は私がみつけた前十時靭帯再建手術をした人のブログ、その人も山にいってスキーがしたいってのが手術の原動力だったみたいです。山ってすごいですね。

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